2022.5.28 広島~島根 総集編
GPSログと訪問・見学地リスト。
やはり(島ではなく)陸続きだと好き勝手に動ける。
訪問・見学地
・東広島市
・広島市
・北広島町
西宗川、豊平高原、長笹盆地
吉川氏城館跡、戦国の庭歴史館、小見谷製鉄遺跡群
・邑南町
いこいの村しまね(於保知盆地/矢上盆地)
・雲南市
道の駅たたらば壱番地、鉄の歴史博物館、菅谷たたら山内、田部家土蔵群と吉田の町並み、道の駅おろちの里
・奥出雲町
三成ダム、出雲坂根駅スイッチバック、延命水、奥出雲おろちループ、奥出雲たたらと刀剣館、日刀保たたら(鳥上木炭銑工場角炉)、羽内谷鉱山鉄穴流し本場、卜蔵氏庭園、原たたら跡、追谷の棚田、福頼の棚田と鉄穴残丘、稲田神社、原口の棚田と鉄穴残丘、隠地たたら跡、絲原家住宅、絲原記念館、鬼の舌震、槇原たたら角炉(たたら角炉伝承館)、櫻井家住宅、可部屋集成館
・奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観
小括
「製鉄」の理解がなかなかできない。鉄鉱石や砂鉄など自然界の鉄は(隕鉄を除き)酸化鉄や硫化鉄のため、酸化鉄を還元して鉄を取り出す必要がある。還元には一酸化炭素を使う(木炭またはコークスを燃やす)。「製鉄」でできた鉄は炭素との合金で、炭素含量により鋼鉄とか鋳鉄とかと呼ぶ(化学は超苦手なのでお許しを・・・)。
たたら製鉄は砂鉄と木炭を粘土の窯で焼く。ふいごを使って送風して鉄が溶けるまで高温にする必要がある。粘土のケイ素と砂鉄中の不純物があわさって「鉄滓」(のろ)(玄武岩溶岩みたいなやつ、スラグ)が出てくる。窯の中には純度の高い鉄(けら)が残る。窯を壊して取り出すので、毎回粘土の窯は作り直す。
鉄穴流し跡地が棚田となり、ブランド米の仁田米がつくられる。「もののけ姫」では環境破壊のシンボル、今は「資源循環型農業」として売り出している。
2022.5.27 広島~島根 鉄の旅(その4)
雲南市吉田は斐伊川支流三刀屋川の支川の吉田川流域で、最後は斐伊川本流上流部の島根県仁多郡奥出雲町へ。
JR木次(きすき)線出雲横田駅前のいい感じの旅館に泊まり、地図を見ていたら国道314号「おろちループ」やら木次線の三段スイッチバックやらがあったので(方向が逆のため)朝食前に見に行った。
(国道はおろちループ、正面に木次線がみえる)
当日はトロッコ列車「奥出雲おろち号」の運行日だったが、帰宅後ニュースを見たら午前中に踏切でトラックが信号ケーブルを切断したため運転見合わせになったそうだ。木次線(出雲横田から先)は冬季は雪のため運休だし、乗らないうちに廃止になりそう。
奥出雲町横田には「奥出雲たたらと刀剣館」があり、たたら炉の実物大?模型がある。また、唯一の操業中の「日刀保たたら」や鉄師御三家の絲原家と櫻井家もある。
(奥出雲たたらと刀剣館)
(日刀保たたら;日本美術刀剣保存協会の運営するたたら)
日刀保たたらは「鳥上木炭銑工場角炉」というらしい。日本刀を作るための「玉鋼(たまはがね)」は、たたらじゃないとできないそうだが、非公開のため中は見られない。
近くには昭和47年(1972)まで使っていた鉄穴流しの比重選鉱場もある。
(羽内谷鉱山鉄穴流し本場)
奥出雲は日本遺産に加え、文化庁の重要文化的景観「奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観」と日本農業遺産「たたら製鉄由来の資源循環型農業」にも指定されている。
追谷(おいだに)集落は鉄師卜蔵(ぼくら)家のたたらがあり、鉄穴流しの跡地が棚田となったそうだ。
(追谷の棚田)
福頼(ふくより)の棚田と原口の棚田には「鉄穴残丘」が複数見られる。
(鉄穴残丘;お墓や祠がある場所は削られなかった)
東京の高級スーパーで売っているブランド米「仁田米」は「東の魚沼、西の仁田」と称されるそうで、奥出雲の棚田のお米だった。そうだったのか!
たたらと刀剣館でもらった教育委員会の地図に誤りがあり、「大原新田の棚田」(棚田百選)に行きそびれた。地図を信用した私が悪かった(グーグルマップを使え!)。
鉄師御三家の絲原家は明治以降も木炭販売などを続け、JR木次線の前身の簸上鉄道をつくったそうだ。
(絲原記念館)
もう一つの御三家の櫻井家は広島の可部から来たため屋号を「可部屋」と名乗り、松江藩主松平不昧(ふまい)公が滞在したために庭に高さ16mの滝を作った。明治になって洋式製鉄でたたら製鉄が衰退したため、レンガ造りの角炉をつくって水車で送風するたたらをつくった(槇原角炉)。
(櫻井家)
(たたら角炉伝承館)
絲原記念館の近くに天然記念物「鬼の舌震(したぶる?したぶるい?)」があり行きたかったが、またもや時間との闘いとなり断念。花崗岩のコアストーンがごろごろしているところだったような。
国道432号で広島県庄原市高野インターへ、そこから広島へ戻りレンタカー返却。走行距離3日間で619km。
2022.5.26 広島~島根 鉄の旅(その3)
中国山地ではかつて「たたら製鉄」が盛んだった。太田川支流西宗川の豊平高原では中世まで砂鉄採取やたたら製鉄が盛んだったが、江戸時代になってからは太田川に大量の土砂が流れ出すために砂鉄採取は禁止になった。
広島プロジェクトのボスのS先生の企画で、コロナ前に豊平高原の巡検に参加させていただいた。豊平高原もかつての鉄穴(かんな)流しによる地形改変が大規模に行われていた。
(亀山八幡神社の鉄穴残丘)
山の中の小盆地もあやしい。
(長笹の小盆地)
豊平盆地の北側の「陰陽分水嶺」を越えて、太田川から江の川(ごうのかわ、えのかわ)流域に入ってもまだ広島県(北広島町)である。
この江の川最上流部志路原(しじはら)川沿いに国指定史跡吉川(きっかわ)元春の城館跡がある。そんな人知らないよ、だったが、吉川元春は毛利元就の次男だそうで(まだわからない)、要するに戦国武将だったのね(スミマセン)。
(吉川氏城館跡)
戦国武将ものは全くわからないけれど、このような中国山地の奥に有力な戦国武将の本拠地があったのはなぜか、というのがS先生のご下問で、なぜ分水界の北側まで広島県なのか、も関係あるかも。
自分なりにみつけたヒントの一つが、城館跡西方小見谷の製鉄遺跡群だった。山の斜面に十箇所以上の野だたらの跡がある。
(中世のたたらの跡)
(鉄滓;スラグが散乱)
「鉄は国家なり」なので、戦国時代の重要産業だったのだろう。
というわけで、次に近世以降も大規模に砂鉄採取とたたら製鉄をやっていた斐伊川上流域の「本場」を訪ねることにした。
北広島から、中国山地を格子状に走る中国道と松江道で、斐伊川上流域の島根県雲南市へ。雲南吉田インターの道の駅の名前は「たたら場壱番地」とふるっている。
雲南市(旧吉田町)の「鉄の歴史博物館」と「菅谷たたら山内」のセットは必修だが、例によって時間が足りなくなり、博物館は超高速見学。菅谷たたらの施設長さんに「博物館でビデオを見てこなかったのか」といわれ、平謝り。
(鉄の歴史博物館)
(「もののけ姫」でモデルだった菅谷高殿)
(炉の部分、左は送風管)
菅谷たたらは鉄師(製鉄業)御三家の田部家のもので、江戸時代から大正時代まで操業していた。
(吉田の田部家土蔵群)
雲南市の菅谷たたら山内や鉄の歴史博物館収蔵品、田部家土蔵群などは日本遺産「出雲国たたら風土記」の構成資産になっている。
2022.5.25 広島~島根 鉄の旅(その2)
太田川中・上流域に行ってみた。
JR可部線あき亀山駅。一度廃線になったのに「奇跡の復活」ができたのは駅前に医療センターを誘致したかららしい。
(あき亀山駅、右が医療センター)
ここは太田川の「扇頂」にあたるが、扇状地は支流大毛寺川のもの。
太田川の歴代洪水水位、一番上は昭和18年(1943)の洪水。
(元発電所の建物、現在は漁協が使用)
川沿いの県道は狭いため「通行はお控えください」という看板があった。でも対岸の道は工事で通行止め、迂回路は遠回りなので強行突破したら子鹿に遭遇。
(本当に誰も通らないようだ)
太田川沿いを遡ったら、結果的に可部線の廃線をたどることになった。
(旧安芸飯室駅、現在はカフェ)
(旧安野駅、ブルーシート何とかして)
太田川中流部は穿入蛇行の跡(津浪)や潜り橋など、ここは四万十川か?
(旧津浪駅は道の駅、環状丘陵がある)
(程原の潜り橋)
(旧三段峡駅)
(三段峡)
三段峡は太田川支流柴木川の峡谷で、今回の太田川は柴木川合流点(安芸太田町)まで。
戸河内から棚田百選の「井仁の棚田」に立ち寄る。
(井仁の棚田)
製鉄関係ないじゃないかといわれそうだが、太田川流域では支流西宗川の上流豊平高原は中世まで砂鉄採取が盛んだったので、太田川本流編はここまで。
2022.5.24 広島~島根 鉄の旅(その1)
2022.5.22 隠岐総集編
GPSログと訪問・見学リスト。
西ノ島の国賀海岸で落としたのを回収できたので無事表示できた(往路の航路はなし、西郷港から)。
訪問・見学地
・島前(隠岐の島町)
西郷港、隠岐自然館、玉若酢命神社、都万の船小屋、壇鏡の滝、ローソク島、福浦トンネル
国分寺、銚子ダム隠岐片麻岩、かぶら杉、白島、岩倉の乳房杉、浄土ヶ浦、黒島、久保呂海岸のマントルゼノリス、隠岐世界ジオパーク空港
・島後;西ノ島(西ノ島町)
別府港、焼火山、焼火神社、赤尾展望所、鬼舞展望台、摩天崖
由良比女神社、イカ寄せの浜、浦郷港、国賀浜、黒木御所跡
来居港、赤ハゲ山、赤壁、知夫村郷土資料館、島津島遊歩道、一宮神社、河井湧水、古海の井戸、フェリーターミナルの赤壁ジオラマ
・島後;中ノ島(海士町)
ENTO、菱浦港、小泉八雲公園
隠岐神社、後鳥羽天皇火葬塚、後鳥羽院資料館、明屋海岸、天川湧水、船渡来留亭
・本土側
・総括
隠岐は主な島が4島なので4日間ではせわしなかった。GPSを落としたが回収できた。動物との出会いいろいろ。隠岐にはコンビニはないようだ。
2022.5.20 隠岐島前その2:知夫里島と中ノ島
島前西ノ島(西ノ島町)の次は、知夫里(ちぶり)島(知夫村)と中ノ島(海士町)で4島制覇をもくろむ。
西ノ島の別府港から内航船「いそかぜ」(定員70名)で知夫里島の来居(くりい)港まで15分、300円。千円札を出したら、船員さんが自分の財布からおつりを出してくれた。
(島前巡回バス?いそかぜ)
港の観光案内所で聞いたら、自転車で赤ハゲ山(325m)は無理だろうといわれ、またもレンタカー3時間5000円、「戻ったばかりで洗車してないけど」「時間がないのでそれでいいです」。軽のバンで運転席が高くて眺めがいいぞ。
赤ハゲ山山頂から「カルデラ」(内海)のながめ。ここの看板はわかりやすかった。
(知夫里島は南側外輪山)
知夫里島も牧場がひろがっているが、この島だけ外来種のタヌキが大発生、人口より狸口の方が多いらしい。
(牧場のウシとタヌキ)
(赤壁)
知夫里島のカルデラ外側レッドクリフ(赤壁)は、高温酸化のスコリア丘の断面で、600万年前の火山にしてはずいぶん生々しい。
(白壁もある;風化の違い?)
(またもや行く手を阻まれる)
小さい島だけど湧水が豊富(淡水レンズらしい)。
(河合の湧水)
知夫里島灯台と島津島の化石は時間切れでカット、夕方の「いそかぜ」で最後の中ノ島(海士町)の菱浦港到着。海士町には港に面して客室全面ガラス張り高級リゾートホテル「ENTO」があり、港のターミナルやその向かいの隠岐牛レストランとかもやたらおしゃれだ。
(ENTO;ジオパーク拠点ホテル)
ホテル島流し(ENTO)は1泊朝食2万円超のため、民宿1泊朝食付きにしたのでスーパーに買い出しに行ったら弁当はなし、食堂は満席、ざるそばパックとあごちくわと卵焼きを買って、港のベンチで夕涼みしながらごちそうさま(緑茶の缶だったけど、たぶんちくわをつまみに缶チューハイを飲んでるおばさんに見えただろう)。
(民宿の朝食は鯛の尾頭付き)
中ノ島はレンタカーではなくて電動アシストのレンタサイクルにしてみた。ふだん通勤に使っている自転車は前傾で乗るヨーロッピアンだが電動ママチャリはそっくり返って乗るアメリカンスタイルだ。
港から3kmの隠岐神社は、後鳥羽上皇(大河ドラマの北条義時に破れて隠岐へ配流)をまつり、神社の裏には宮内庁管理の「火葬塚」がある。
(後鳥羽上皇火葬塚)
その次は3km先の明屋(あきや)海岸まですぐのはずが、標識の向きが30度ほどずれていたため別の道に迷い込み(昔の漫画みたい)、なかなかたどり着かず(地図を持っているのに・・・)。隠岐神社でいっしょだった知夫小学校の遠足に大きく後れをとった。
(明屋海岸)
中ノ島の「赤壁」。こちらは280万年前の「新鮮な」スコリア丘(水面付近は溶岩)。小学生の遠足は、ジオガイドさんが説明していたようだ。
もう1箇所、環境省名水百選の「天川の水」は標高150mの峠越えをして往復できたが(電動自転車のおかげ)、返却時間を30分位オーバー(天川湧水から電話したので許してもらえた)。
(天川湧水と自転車)
菱浦港ターミナル2階で寒シマメ(スルメイカ)の漬け丼と生岩ガキ(注文してから40分かかった;解凍していたのか?)の隠岐グルメを満喫。
(解凍?岩ガキ)
(産地の風景;西ノ島にて)
「いそかぜ」で別府港(西ノ島)に戻り、高速船で島根県七類(しちるい)港まで1時間。隠岐汽船の「おきとく」キャンペーンで、島内宿泊と観光船やら観光バスやらレンタサイクルやらのスタンプで帰りの船は無料になった(レンタカーは対象外)。
高速船(片道)、観光船、観光バス、レンタカー3回、レンタサイクル、素泊まりまたは1泊朝食付宿泊代3泊で5万円強でした。