2022.5.27 広島~島根 鉄の旅(その4)

 雲南市吉田は斐伊川支流三刀屋川の支川の吉田川流域で、最後は斐伊川本流上流部の島根県仁多郡奥出雲町へ。

 JR木次(きすき)線出雲横田駅前のいい感じの旅館に泊まり、地図を見ていたら国道314号「おろちループ」やら木次線の三段スイッチバックやらがあったので(方向が逆のため)朝食前に見に行った。

 (出雲坂根駅、複線じゃなくてスイッチバック

 (国道はおろちループ、正面に木次線がみえる)

 当日はトロッコ列車「奥出雲おろち号」の運行日だったが、帰宅後ニュースを見たら午前中に踏切でトラックが信号ケーブルを切断したため運転見合わせになったそうだ。木次線出雲横田から先)は冬季は雪のため運休だし、乗らないうちに廃止になりそう。

 奥出雲町横田には「奥出雲たたらと刀剣館」があり、たたら炉の実物大?模型がある。また、唯一の操業中の「日刀保たたら」や鉄師御三家の絲原家と櫻井家もある。

 (奥出雲たたらと刀剣館)

 (日刀保たたら;日本美術刀剣保存協会の運営するたたら)

 日刀保たたらは「鳥上木炭銑工場角炉」というらしい。日本刀を作るための「玉鋼(たまはがね)」は、たたらじゃないとできないそうだが、非公開のため中は見られない。

 近くには昭和47年(1972)まで使っていた鉄穴流しの比重選鉱場もある。

 (羽内谷鉱山鉄穴流し本場)

 奥出雲は日本遺産に加え、文化庁重要文化的景観「奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観」と日本農業遺産「たたら製鉄由来の資源循環型農業」にも指定されている。

 追谷(おいだに)集落は鉄師卜蔵(ぼくら)家のたたらがあり、鉄穴流しの跡地が棚田となったそうだ。

 (追谷の棚田)

 福頼(ふくより)の棚田と原口の棚田には「鉄穴残丘」が複数見られる。

 (鉄穴残丘;お墓や祠がある場所は削られなかった)

 東京の高級スーパーで売っているブランド米「仁田米」は「東の魚沼、西の仁田」と称されるそうで、奥出雲の棚田のお米だった。そうだったのか!

 たたらと刀剣館でもらった教育委員会の地図に誤りがあり、「大原新田の棚田」(棚田百選)に行きそびれた。地図を信用した私が悪かった(グーグルマップを使え!)。

 鉄師御三家の絲原家は明治以降も木炭販売などを続け、JR木次線の前身の簸上鉄道をつくったそうだ。

 (絲原記念館)

 もう一つの御三家の櫻井家は広島の可部から来たため屋号を「可部屋」と名乗り、松江藩主松平不昧(ふまい)公が滞在したために庭に高さ16mの滝を作った。明治になって洋式製鉄でたたら製鉄が衰退したため、レンガ造りの角炉をつくって水車で送風するたたらをつくった(槇原角炉)。

 (櫻井家)

 (たたら角炉伝承館)

 絲原記念館の近くに天然記念物「鬼の舌震(したぶる?したぶるい?)」があり行きたかったが、またもや時間との闘いとなり断念。花崗岩のコアストーンがごろごろしているところだったような。

 国道432号で広島県庄原市高野インターへ、そこから広島へ戻りレンタカー返却。走行距離3日間で619km。