2022.5.26 広島~島根 鉄の旅(その3)
中国山地ではかつて「たたら製鉄」が盛んだった。太田川支流西宗川の豊平高原では中世まで砂鉄採取やたたら製鉄が盛んだったが、江戸時代になってからは太田川に大量の土砂が流れ出すために砂鉄採取は禁止になった。
広島プロジェクトのボスのS先生の企画で、コロナ前に豊平高原の巡検に参加させていただいた。豊平高原もかつての鉄穴(かんな)流しによる地形改変が大規模に行われていた。
(亀山八幡神社の鉄穴残丘)
山の中の小盆地もあやしい。
(長笹の小盆地)
豊平盆地の北側の「陰陽分水嶺」を越えて、太田川から江の川(ごうのかわ、えのかわ)流域に入ってもまだ広島県(北広島町)である。
この江の川最上流部志路原(しじはら)川沿いに国指定史跡吉川(きっかわ)元春の城館跡がある。そんな人知らないよ、だったが、吉川元春は毛利元就の次男だそうで(まだわからない)、要するに戦国武将だったのね(スミマセン)。
(吉川氏城館跡)
戦国武将ものは全くわからないけれど、このような中国山地の奥に有力な戦国武将の本拠地があったのはなぜか、というのがS先生のご下問で、なぜ分水界の北側まで広島県なのか、も関係あるかも。
自分なりにみつけたヒントの一つが、城館跡西方小見谷の製鉄遺跡群だった。山の斜面に十箇所以上の野だたらの跡がある。
(中世のたたらの跡)
(鉄滓;スラグが散乱)
「鉄は国家なり」なので、戦国時代の重要産業だったのだろう。
というわけで、次に近世以降も大規模に砂鉄採取とたたら製鉄をやっていた斐伊川上流域の「本場」を訪ねることにした。
北広島から、中国山地を格子状に走る中国道と松江道で、斐伊川上流域の島根県雲南市へ。雲南吉田インターの道の駅の名前は「たたら場壱番地」とふるっている。
雲南市(旧吉田町)の「鉄の歴史博物館」と「菅谷たたら山内」のセットは必修だが、例によって時間が足りなくなり、博物館は超高速見学。菅谷たたらの施設長さんに「博物館でビデオを見てこなかったのか」といわれ、平謝り。
(鉄の歴史博物館)
(「もののけ姫」でモデルだった菅谷高殿)
(炉の部分、左は送風管)
菅谷たたらは鉄師(製鉄業)御三家の田部家のもので、江戸時代から大正時代まで操業していた。
(吉田の田部家土蔵群)
雲南市の菅谷たたら山内や鉄の歴史博物館収蔵品、田部家土蔵群などは日本遺産「出雲国たたら風土記」の構成資産になっている。