2022.9.7 キャンパスライフ(その2)

 弊社サンフランシスコオフィスは正確にはサンフランシスコではなくバークレー市にある。カリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)の目の前にあり、UC Berkeleyとは何の関係もなさそうだが、大いばりで?キャンパス内を歩き回る。

 (UC Berkeley)

 9月5日はLabor Day(労働者の日)で祝日だったが大学のシンボルの鐘楼(時計台)は開いていたので5ドル払ってエレベーターで上まで登ると、サンフランシスコ湾やサンフランシスコ市街、金門橋などが見えて満足満足。

 

 9月から新学期(新年度)で、キャンパスは学生たちで賑わっている。学生会館のまわりはサークルとか「アジア学生会」とかの新歓の机やテントが並んでいる。UCバークレーはアジア系の学生が多いみたいで、ざっと見た感じで半数くらいはアジア系のような感じだ。

 

 キャンパスライフということで、早速学食の偵察。学内に何か所かあるが、とりあえず一番近い「ユニット3」の学食へ行ってみた。ウエブサイトでは「学外者も利用できます」と書いてあり、ビュッフェスタイルで料金はランチ14ドル、ディナー16ドル(学生は割引料金)だが、日本円で学食のランチが2000円か・・・。ブリュッセルのULBが懐かしい。

  (学食はビュッフェスタイル)

 マクドナルドでもハンバーガーと飲み物で10ドル位するし、オフィスの近所のタイレストランの焼きそばパッタイも14ドル(全然タイの味じゃなかった)、前途多難なり。

 

 

2022.9.1 アメリカ入国

 ブリュッセルでの2ヶ月間の修行?が終わり、次は新大陸で2ヶ月修行します。

ブリュッセルオフィスではたいへんお世話になりありがとうございました)

 フランクフルト空港でユナイテッド航空サンフランシスコ行きにチェックインしようとしたら、「ビザはあるか」と聞かれた。ええと、何のことでしょう??ヨーロッパもベトナムもビザなんかいらなかったし。

 係の人が上司みたいな人を呼んできて、「アメリカは電子ビザ(ESTA)が必要です」といわれた。そういえば、以前そんなものがあったような気がしてきた。しまったー。ipadを取り出してESTAと検索したら申請のページが出てきた。係の人が「それだ」と言う。オンラインチェックインができなかったのはこのせいだったか。

 チェックインの列に並びながら必死で入力、パスポートの写真を添付するのもipadのカメラでできるけれど、天井の明かりが反射してうまく撮影できない。見かねた後ろの人が、手伝おうかと言ってパスポートを持ってくれた。クレジットカードで特急料金も払って無事提出まで行ったが、領収書ではダメで、折り返しメールでビザが来ないと受け付けてくれない。処理には長くて2,3時間かかるというので、もう間に合わないから次の便に換えたい(チケットは変更可能で良かった~)と言ったのだが、チェックイン終了は出発の50分前なので、とにかくメールが来るまでここで待て、と言われた。ひえー。

 (メールが来るのを待つ)

 たぶん間に合わないので、飛行機が出た後で変更可能なのか心配になり、旅行会社に電話したがつながらない。ついに時間が来て、変更のための窓口に並んだところでメールが来た。ごていねいにConglaturations!(おめでとうございます)なんて書いてある。「メールが来ましたあ!」とチェックイン窓口の人に叫んだけれど、もう締め切った後だった。

 というわけで13:35発は間に合わなかったが、次の17:00の便に簡単に換えてくれた。あー良かった。しかし、アメリカ行きの便は何度もパスポート見せろとか搭乗券にシールが貼ってあるかとか面倒くさい。

 (やっと乗れる)

 (フランクフルト・アム・マイン川)

 ユナイテッドの機内プログラムは全然充実してなくて、クラシックは1時間の番組のくり返し(日系某社といっしょだ)。寝ていたからいいけど。

 サンフランシスコ空港に着いたのが夜8時位だったが、そこからがまたたいへん、入国管理のところは3列になっていて、左が外交官と飛行機の乗務員、右がアメリカ国民とグリーンカード保持者、その他は中央だが、これが廊下に延々と長蛇の列となっている。何がWELCOME TO UNITED STATESだ。

 

 行列はなかなか進まず、前に並んでいた女の子は顔色が悪く、壁際に座り込んでしまった。かわいそうなので「後で私のところに合流していいよ」と言ってあげた。しかし廊下からホールに入るまでが1時間、ホールではテープで仕切ってぎっしり並んでいる。途中で座り込む人が多かった。

 結局パスポートにスタンプをもらって解放されるまで3時間半かかった。時刻は23時45分、市内へ行くBART(湾岸高速鉄道)の終電は24時だよ~。

 (BARTの終電)

 終電には間にあったけれど、途中の駅でポリスの検問みたいなのもあり、バークレーの駅に着いたのが深夜の1時半過ぎ、暗い道をホテルまでとぼとぼ歩いた(本当は夜中に一人で歩くのはまずい)が、セブンイレブンの明かりがうれしかった。

 (開いててよかった)

 ホテルのフロントで呼び鈴を何度も押して、ものすごい不機嫌な顔で迎えられた(当たり前だ)。

 アメリカへようこそ。

2022.8.29 ドイツ駆け込み(2)チューリンゲンの森

 ライプツィヒの近く(といってもとなりの州)の「チューリンゲン・インゼルスベルク=ドライ・グライヒェン」ユネスコ世界ジオパークに行ってみた。

 ライプツィヒから特急ICEで約1時間のゴータGotha駅で下車、駅前からチューリンゲンの森鉄道Thüringerwaldbahn(トラム)でジオサイトのマリエングラスヘーレMarienglashöhleまで50分。

  (左:ゴータ駅、右:チューリンゲンの森鉄道の車両)

 車内で小学生くらいの少年が「ハロー」と話しかけてきた。なぜかベビーカーに木の杖をのせて乗っている。学校で英語を習っているので話したいようだ。What is your name?とかHow old are you?とか。悲しいかな自分はこれもドイツ語で言えない。彼は11歳で、ライプツィヒにおじいちゃんの家があるらしい。僕のうちはこっち、といって途中の駅で降りていった。

 マリエングラスヘーレは「聖母マリアの水晶の洞窟」という意味で、石膏の鉱山だった。ガイドツアーはドイツ語だけだったが、英語訳のプリントをくれたので助かった。石膏の結晶を採掘していた部分では、真っ暗なところからライトアップしてきれいだった。入口にはやっぱり鉱山の守護聖人バルバラザルツブルクの銅鉱山で見た)がまつられていた。

  (マリエングラスヘーレ)              

 この辺の地質は古生代中生代?の赤色砂岩、白っぽいドロマイト、褐色砂岩の「三色アイス」で、ドロマイトの部分に石膏ができている。

  (ジオパークの展示)

 チューリンゲンの森鉄道の終点のタバルツTabarzに石の公園Steinparkというのが地図にあったので行ってみると、公園の中に恐竜や石の標本や地質の説明の看板などがあり、森のハイキングコースの起点(終点)になっていた。

  (石の公園)

 展望台のあるグローセインゼルスベルク(標高916m)にも行きたかったが公共交通がなく断念した。途中DBのローカル線に乗り換え、アイゼナハEisenachで1泊。駅の看板には「バッハが生まれた町」と書いてある。

  (アイゼナハ駅)

 バッハの生家(お父さんの家)の博物館と、聖ゲオルク教会のオルガンコンサートを聴いて、午後は世界遺産のワルトブルク城Waltburugに行った。

  (バッハハウス)

 (聖ゲオルク教会のオルガン)

 ワルトブルクはジオパークには含まれないが、例の「三色アイス」下部の(たぶん)赤い角礫岩の山で、眺めが良かった。

  (ワルトブルク城)

 (角礫岩)

 お城は(日本でも)あまり興味がなかったけど、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」の歌合戦の舞台とか、ルターが聖書をドイツ語訳した部屋(2022年は翻訳500周年)とかがありおもしろかった。

 (歌合戦の間)

 

2022.8.27 ドイツ駆け込み(1)30年ぶりのライプツィヒ

 ヨーロッパ滞在があと1週間を切り、行こうと思っていたところがまだ山のように残っている。イギリスは空港も鉄道も麻痺していそうだったし、イタリアは遠かった。というわけで、最後の駆け込みはドイツになった。

 何度も出てくるが30年前のヨーロッパ大旅行の時に、列車の乗り継ぎで旧東ドイツライプツィヒに1泊した。夏だったがもう真っ暗になってから聖トーマス教会の前のバッハ(作曲家)の像だけ見て終わりだった。なのでもう一度行くことにした。

 しかしブリュッセルからはやっぱり遠い。午前中(日本の)オンライン会議に出てから昼にブリュッセルを出発して、まずはフランクフルトまで特急ICEで約3時間、前回超混雑で懲りたので座席指定をしておいた。ドイツ国境に差し掛かると、車掌が3ヶ国語(仏独英)で「ドイツでは車内でマスク着用義務です」と放送し、全員マスクになった。

 フランクフルトでの乗り換えは約30分で、大都会フランクフルト中央駅は大混雑、おまけに暑くて、7月のパリ北駅みたいにクラクラしてきた。

 (フランクフルト乗り換え)

 フランクフルトからはベルリン行きのICEでまた3時間、ライプツィヒに着いたのは19:30頃で、駅舎がむちゃくちゃ大きくて重厚だ。歩行者用信号は旧東ドイツ時代伝統の「アンペルマン」だった。

 (ライプツィヒ中央駅)

 (アンペルマン、女の子のバージョンもある)

 宿は駅のそばで、聖トーマス教会までも歩いてすぐだったが、やっぱり暗くなっちゃった。マルクト広場の地下鉄の駅がかっこ良くて、中央駅まで1駅乗ろうとしたら、しまった、マスクを忘れた。仕方がないので中央駅まで歩いて、コンビニでマスクを買って、地下街のお店はみんな閉まっていたのでピザハットでピザを1切れ食べて、地下鉄に1駅のって宿にもどった。

 (地下鉄マルクト駅)

 (駅構内のピザハット

 ライプツィヒではバッハゆかりの聖トーマス教会と聖ニコライ教会、バッハ博物館とかメンデルスゾーンの家とかゲヴァントハウス管弦楽団のホールなどなどを見物した。

  (聖トーマス教会のバッハ像とバッハのお墓)

 (メンデルスゾーンの家)

 (ゲヴァントハウスホール)

 市立博物館ではバッハやルターのほか、東ドイツ時代の生活とか1989年の自由革命(ベルリンの壁崩壊のきっかけとなった)の展示があった。

 (1989年の自由革命、聖ニコライ教会で毎週開かれた「平和の祈り」がきっかけらしい)

 聖トーマス教会でのオルガンとカリヨンのかけあいと、聖ニコライ教会でのオルガンとハーモニカとギターのかけあいのコンサートをはしごした。どっちも素晴らしかったのだけれど、教会のコンサートって拍手をしたらいけないの?オルガンとカリヨンでトッカータとフーガのすごいかけあいが終わったのに会場はシーン、だった(能は拍手したらいけないらしい)。

  (左:聖トーマス教会のバッハオルガン、右:聖ニコライ教会のオルガン)

 コンサートが終わったら外は大雨で、デパートに駆け込んでお好み大食堂に行ったら、食堂は16:30までだった。

 (本日は終了しました)



2022.8.24 懐かしの?ブリュッセル

 ベトナムからブリュッセルに戻ってきた。

 まずは郵便局で本やら地図やらを日本へ発送。重さは6.5kgくらいあり、一番安い便でも2万円くらいになった。日本で読むのか??

 (BPost)

 次に懸案だったSIMカード。小さい店に行ったら「英語はダメ、この番号に電話しなさい」と流暢な英語で言われて追い出された。それができないから来たのに。

 繁華街の大きな店に行ったら、ipadの言語設定をフランス語に変えて、あっという間に設定してくれた。「ヨーロッパ中で使えると言われたのにスイスで使えなかった」と言ったら、「スイスはヨーロッパじゃない」。なるほど、EU域内限定なのか。「じゃあイギリスは?」「イギリスは使える」。あっそう。

 (フランスの携帯電話会社Orange)

 次は家電量販店。デパート最上階のヨドバシカメラみたいな店で先日プリンターを買ったのだが、ケーブルがなかったので大学のを借用していたが、これもすぐ解決。

 (デパート最上階が家電量販店MediaMarkt)

 1階下にLunch Gardenというお好み大食堂を発見。学食式にお盆をもって好きなものをとってきて最後にお会計という例のシステム。肉団子と付け合わせの米とサラダバー(小)で11ユーロくらい、これですよ私が求めていたのは!

  (お好み大食堂にしてはおしゃれ)

 

 ブリュッセルに懐かしさを感じるようになったとは、進歩したもんだ。

 

2022.8.22 ベトナム総集編(食生活)

 ヨーロッパからベトナムへ出張し、食生活がガラリと変わった。

 今回のベトナム食事ランキング!

 

・朝食

フォーとベトナムコーヒー(当たり前すぎて写真がない)

 フェリー乗り場のそばのお店(牛肉シチューとフランスパンでF先生は歯をやられた)

 

・昼食

 ゾンカーヴォ遺跡近くの海鮮レストラン

 ホーチミンの老舗ニューランのバインミー(サンドイッチ)

 中部クアンナム地方の名物麺ミークァン(ごませんべいを砕いて載せる)

 ベンタイン市場前のフォー2000(ブッシュ、クリントン村山富市氏らが訪問)の揚げ春巻き汁かけそば

 ホテル前のおばちゃん屋台のブン(テイクアウェイ対応)

 

・夕食(ホーチミン編)

 H先生宅にお呼ばれした時の豪華ディナー(一部)

 ホテルの近くのおしゃれステーキ店(これまで食べた中で一番美味しかったアヒル

 ホテルの近くのおしゃれレストランのバインセオ(お好み焼き)

 統一会堂向かいのレストランのBコンボ(通りがかりに発見)

 ビンコムセンター地下レストラン街のKICHIKICHI(回転寿司じゃなくて回転鍋の具材)

 高島屋レストラン街の「大江戸村横丁」の鉄板焼き(いつまでたっても出てこなかったので不合格)

 

 

2022.8.20 ベトナムの歯医者さん

 10年前にインドで奥歯の詰め物がとれて歯医者へ行ったときに、日本の歯医者よりいいかなと思ったので、今回はベトナムの歯医者に行ってみた。10年前と同じ歯だ。

 ホーチミンには日本人の歯科医院もあったが、1軒目は休診日。2軒目は行ってみたら何だか薄暗くて、ガードマンさんがスマホで「何が問題ですか」とGoogle翻訳で日本語で見せるので、こちらも「予約してないですが診察は受けられますか」をベトナム語に翻訳して見せると、「本日は臨時休業です」とのこと。便利だねえ。

 日本人医師じゃなくていいやと、近くのもう1軒の歯科医院に行ってみると、今泊まっている高級?ホテルのロビーよりももっと広くてピカピカな待合室にソファが配置されている。薄暗くて心細かったさっきの日本人歯科とは大違い。こっちのほうがいいぞ。あいにくその日は予約でいっぱいだったので、日を改めて再訪。

 (ホテルみたいなロビー)

 受付で問診票を記入して、イソジンみたいなので口をすすぐとベトナム人の先生の診察室に通された。件の場所を見せると、まず歯科用デジカメとX線で撮影して、モニターに示しながら「歯の上の部分が割れている」「根っこの部分が慢性感染症にかかっている」とのこと。

 (診察室も最新鋭)

 英語の用語がわからないのでipadを持ち込み、先生にスペルを聞きながら英語を日本語に翻訳して説明してもらうと、tooth extraction(抜歯)という恐ろしい単語が出てきた。しかし翌日ベトナムを出国するので、抜歯は帰国後にしてもらった。さらに、帰国はまだだいぶ先だといったら応急処置をしてくれた。割れた歯と詰め物をとりはずし、残った部分を削ってから穴を埋めてならしてくれた。こっち側でものを噛んでも大丈夫とのこと。

 薬も5日分処方してくれ、(日本と同じで)処方箋を薬局に持って行って買いなさいと言われた。そして、写真とX線画像と日本の歯医者への(処置の)説明書をメールで送ってくれるとのこと。なんて親切なんでしょう。

 ホテルのならびのドラッグストアで薬(抗生物質と鎮痛剤;どちらも飴みたいに巨大)を無事ゲット、夕方にはメールも届いた。日本の歯科医あてに処置の説明が書いてある。ありがたやありがたや。ベトナムの歯医者さんは優秀だなあ。

 (最寄りのドラッグストアで処方)

 (大きくて飲み込むときにひっかかる)