2022.10.25 大都会モントリオール
トロントの次はモントリオールまでカナダ国鉄(VIA)に乗ってみた。アムトラックと違い座席指定で、ホームに上がるエスカレーターの前で改札がある。エコノミークラスは座席の間隔が日本の新幹線くらいだが、2席×2列なのでまあゆったり、所要5時間半なんか楽勝だ。途中はトウモロコシ畑や牧場、落葉広葉樹林に少し針葉樹も混じってきたか。セントローレンス川沿いかと思ったけれど、ほとんど見えなかった。
(車内販売も来た)
モントリオール(ケベック州)はフランス語圏で(フランス語だと「モンリアル」?)、でもなんとなくベルギーやフランスのフランス語とは違う感じがする(感じだけです)。メトロの駅名がフランス語で読めないし聞いてもわからず、ただし仏英併記が多く、バイリンガルの人も多いらしい。ベルギーでは文字が仏蘭で意味がわからなかったのに較べると、英語があって助かる。
(左;モントリオール中央駅、右;メトロ)
モントリオールでは都心部の宿にした。世界遺産のノートルダム聖堂まで歩いてみたら、途中にケベック大学や中華街(「唐人街」)などもあった。ノートルダムは入場料15カナダドル!
セントローレンス川も見に行ったら、埠頭に「サイエンスセンター」(博物館?)があり恐竜がいたが今回はパス。中心部の歴史的地区はヨーロッパっぽい。
聖ジョセフ礼拝堂St. Joseph's Oratoryというのが高台にあり眺めがいいというので(また高いところ!)行ってみたら、本当に眺めがよかった。ただしセントローレンス川と反対側だったので、Mt. Royal(モンロワイヤル?)展望台にもバスで転戦したら、たくさんの人が来ていた。ここはセントローレンス川がよく見えて満足。帰りは階段を下ったが、標高差は150m位ありそうなのに階段を登ってくる人もたくさんいて驚いた。
(St. Joseph's Oratory)
(Mt. Royal)
列車でモントリオールに着いたときは、駅の手前がちょっとうら寂しい感じで、トロントとはやや雰囲気がちがったけど、歴史的な場所も多く、やっぱり大都会だった。
2022.10.23 びっくりナイアガラの滝
トロントはよく考えたら(考えなくても)オンタリオ湖岸なので、アムトラックで対岸を通ったので少し逆戻りした感じがする。しかし、ナイアガラの滝に行ったことがなかったのでトロントからの日帰りツアーに参加した。
英連邦だけあって、ナイアガラに向かう高速道路は「エリザベス女王道路」、速度表示はkm、気温は摂氏だが、さすがに道路は右側通行。途中オンタリオ湖西端のハミルトンという製鉄の町を通過し、オンタリオ湖南側に来るとブドウ畑が続き、ワインの産地になっていた。カナダ産ワインなんて知らなかった~。
(ハミルトンの製鉄所)
(ブドウ畑の後ろに低い丘が続く)
五大湖のうち、エリー湖とオンタリオ湖の間の米加国境のナイアガラ川は約50kmで標高差が約100mあり、途中がナイアガラの滝になっている。当然船は通れないのでカナダ側に運河がつくられ、閘門が8つもある。1箇所あたり10m以上水位を調節するのか。
(ウエランド運河第1閘門)
ナイアガラの滝はなぜそこにあるのか、足りない知恵を絞って考えると、エリー湖とオンタリオ湖の間に高さ100mくらいの「崖」が続いており、ローレンタイド氷床が解けてからこの崖のところを水が流れて滝になった。
じゃあ何で崖があったの?アメリカ地質調査所(USGS)の地質図を見たら、Niagara Escarpmentと書いてあった。ケスタ地形の階段状の崖らしい。で、もとからあったケスタの崖線の位置から現在のナイアガラの滝の位置まで約10km滝が後退し、狭い峡谷になっている、という訳か。ブドウ畑のはるか南方に見えた丘は、モレーンじゃなくてケスタの崖だったのか。何だかようやくわかってきたぞ。
滝の下流の峡谷の部分には、アメリカ側とカナダ側両側に巨大なダムと水力発電所がある。ダムの背後は貯水池で、ナイアガラの滝の上流に水門があり、そこから導水しているらしい。おまけに昼は観光用に威勢よくナイアガラの滝に水を流し、夜はダムの方に導水して滝の水量を減らすという芸の細かいことをしているらしい。このため、1万年で10km滝が後退したので、後退速度は1年に1mだけど、発電所ができてからは年に数cmくらいに低下しているそうだ。
(峡谷の両側は発電所)
ツアーは滝壺のそばまで行く観光船(20分間)もセットになっており、みんな赤いビニールポンチョをかぶって乗船する。いやはやすごい迫力でおもしろかった。
ネットで見るナイアガラの滝の写真はどれも迫力があるけれど、後ろを振り向くとこうなっている。
というわけで、現地に行ったおかげでいろいろと勉強することができました!
2022.10.22 大都会トロント
ニューヨークの物価に耐えられず、隣国のカナダに脱出することにした。カナダは行ったことなかったのでちょうどよかったかも。今回は緊急事態?のため、鉄道じゃなくて飛行機にした。ニューヨークには最寄りの空港が3つあり、まあどこでもいいのだが、ラガーディア空港発のカナダ航空トロント行きにした。
(ラガーディア空港は新しくてきれい)
(左;ハドソン川、右;氷食地形のフィンガーレイクス)
オンタリオ湖を横切ると、高層ビル群の林立するトロントが見える。カナダの最大都市、トロントってこんなすごい都会だったのか。
(左;都心部、右;郊外)
例によってアメリカの出国審査は何もなく、カナダの入国は機械にパスポートを差し入れると写真撮影をしてレシートが出てくる。それを係の人に渡しておしまい。ハイテクなのか人手が足りないのか。
トロントの宿は比較的安くて地下鉄の駅のそばだったので、都心からだいぶ離れたヨーク大学のそばにした。空港からバスと地下鉄を乗り継いで駅に着くと、団地が建ち並び、何だか多摩ニュータウンかつくばみたいな感じだ。宿は1戸建てエリアの家を民泊にしているようで、歩いて10分くらいのところにスーパーもあり、ちょうど公団住宅の中の商店エリアみたいな感じで、スーパーのほか商店が数軒入っていた。
(戸建ては素敵)
翌日、都心部を見学に行ったが、地下鉄で40分くらいかかったので、やっぱり郊外ニュータウン。まずはユニオンステーション、どこかで見たような感じだ。
駅の正面にはロイヤルヨークホテルという老舗ホテルがそびえ、超高層ビルと「CNタワー」に取り囲まれている。駅の反対側に出ると、オンタリオ湖畔はすぐで、ボードウオークがありたくさんの人々が散歩している。目の前は島なので、「広いぞオンタリオ湖~」という感じではないが、カモメが飛び回っている。
最初は行く気はなかったのだが、やっぱり高いところに登ろうということでCNタワー展望台へ。週末なのですごい人込み、2周くらいして退散。
(眼下はユニオンステーション)
タワーの下に半円形の建物があったが、何と旧ユニオンステーションの転車台と扇形車庫(機関庫)でした!転車台もまわっており、機関庫はレストランになっていた。
駅の北側は金融街でトラムも走り、ヨーロッパ的な雰囲気もあるが、新旧の建築があわさりちょっと未来的で、とにかく洗練された大都会というイメージだった。
トロントは東洋系の人が多く、宿のオーナーも華人だった。ニューヨークから来ると本当に平和な感じでほっとする。
2022.10.20 ニューヨーク(その2)
翌日は朝からいい天気で、ニューヨーク在住の日本人の知人のKさんがホテルまで来てくれて、アメリカ自然史博物館とセントラルパークに連れて行ってくれた。地下鉄の「自然史博物館駅」を降りて、ジョン・レノン&オノ・ヨーコの邸宅なども見て、自然史博物館に入館。Kさんによれば、入館料は決まっていなくて「ご芳志」でいいんだそうだ。なので2人で1ドルで入れた!
アメリカ自然史博物館(AMNH)は、ここもやはり恐竜の化石で有名だったが、ブリュッセル、パリ、デンバーなどでもたくさん見たのであまり驚かなかった。その他、アフリカや北米の動物、世界の民族、宇宙、鉱物など例によって1日では回りきれないくらいいろいろあり、特別展「サメ」も人気のようだった。
(TREXはやっぱり人気)
(ちょっとおもしろい「日本」の展示)
途中でおなかがすいたので、博物館の向かいのShake Shackという有名なお店のハンバーガーをKさんがごちそうしてくれた。
(おいしかったです!)
しかし、30年前の記憶では、氷河時代のニューヨークの展示をしている部屋があり、エンパイアステートビルの高さまで氷床に覆われていて、セントラルパークには氷河の擦痕や「迷子石」という氷河が運んだ巨石が見られる、というような説明があったような気がするのだが、今回それはみつからなくて、「ニューヨーク州の環境」の部屋にほんの少し説明があっただけだった。「氷河時代」の常設展示がほしいなあ。
(昔見たのはこれじゃなかったなあ)
しかしネットで調べるとセントラルパークの地質や迷子石の説明があったので、博物館を一通り見た後、セントラルパークに行ってみた。すると公園内のあちこちに氷河(に含まれた岩片)で磨かれてなめらかになった「鯨背岩」があり、基盤の結晶片岩の上に花崗岩の「迷子石」がのっているのも数箇所で見られた。
(セントラルパークの鯨背岩)
遠くから氷河に運ばれてきて、氷が解けたあと置き去りになったので「迷子石」と名づけられているけれど、本当に家に帰れなくなった感じでわかりやすかった。Kさんもおもしろがってくれて、石の上で記念撮影している人達に教えてあげたそうだった。
(迷子石その1・その2)
(迷子石その3と擦痕)
Kさんによれば、ニューヨークでは最近アジアンヘイトの事件が多く、地下鉄などでも気をつけないといけないとのことだったが、(30年前と較べて)地下鉄もきれいでポリスもいっぱいいたし、幸いこわい目には遭わなかった。しかし、ニューヨークのホテル代(1泊58000円)の方がよっぽど恐ろしかった。
Kさん、どうもありがとうございました!
2022.10.19 ニューヨーク(その1)
西海岸のサンフランシスコから東海岸のニューヨークまで12日かかった。ああ疲れた。ニューヨークでは(やはり)30年前に来たとき日が暮れてよく見えなかったセントラルパークの氷食地形を見る予定だったが、その前に9/11の「グラウンド・ゼロ」にも行ってみた。
2001年9月11日、同時多発テロで崩壊した世界貿易センタービルの跡地は「9/11メモリアル」となっている。地下鉄の終点の駅は「世界貿易センター」のままで、さすがに市の沽券に関わるだろうから、駅も車両もきれいだし、ホームには清掃の人が控えていて、電車が到着するたびに中を掃除している。ポリスやセキュリティもあちこちにいる。
(30年前とは雲泥の差)
メモリアルには記念館と2つの四角い池があり、それぞれツインタワーの跡を示している。池の中心に向けてまわりから水が落ちていき、周囲には犠牲者の名前が記されている。広島の平和祈念公園とか沖縄の平和の礎のようなものか。南側の池には消防士達の名前が記され、花や写真のついた小さな国旗などが所々供えられている。
21年前の当日はカンボジアのプノンペンにいて、レストランで夕食を食べているときに「たいへんなことが起きている」と店長に言われ、テレビを見て驚愕し、急いで宿に戻った記憶がある(しかし、2004年のインド洋津波の時も、2011年の東日本大震災の時もプノンペンだった)。
たくさんの人が訪れていたが、やはり胸が締め付けられるような場所だった。
9/11メモリアルからハドソン川はすぐ目と鼻の先で、フェリー乗り場や小さなマリーナがあった。遠くに自由の女神像も見えた。川沿いはジョギングしている若い女性が多く、(日中は)平和な雰囲気だった。
ウォール街にも行ってみたら、1ドル150円の諸悪の根源?のニューヨーク証券取引所NYSEの前にもたくさんの観光客がいた。
ウォール街のすぐそばに古そうな教会があり、小さな墓地があった。一番古い墓石は1681年に5歳で亡くなったRichard Churcherという人のものだそうだ。
(Trinity Church)
近くの広場にキッチンカーが停まっていて、インド料理だったので、小さなサモサ2ケ(2ドル)を買い食いし、マッタルパニール(グリーンピースとチーズ)のカレー(8ドル)を買って持ち帰って食べた。ヨーロッパでもアメリカでも日本食を食べたいとは思わないが、インドカレーは時々食べたくなる。
2022.10.18 アムトラック最終区間(CHI-NYP)
サンフランシスコ発「カリフォルニアゼファー」号乗り継ぎでシカゴまで来た。ここからニューヨークまであと一踏ん張り?、アムトラックの「レイクショアエクスプレス」(所要約20時間)を予約した。
19:30 シカゴ、ユニオンステーションはホールが巨大で本当にかっこいい。しかし列車待合室とかはなくて、単なるホール。
20:00 フードコートの看板を発見。夜なのでほとんど閉店しており、2軒くらいしか開いてなかったが、温かい食べ物にありつけた。
20:30 待合室へ移動。何だかヨーロッパ中世の絵画から出てきたような集団がいる。男性はマッシュルームカットの髪型につば広帽子でひげを蓄え、女性は頭に小さなスカーフのような布をかぶって、ロングスカートにエプロンで、服の色は青ねずみ色と黒。彼らはアーミッシュの人達だった。
アーミッシュの人達は電気や自動車は使わず馬車で移動し、自給自足の生活をしていると聞いたことがあったが、そういえば、初日のサンフランシスコ~ソルトレイクシティの区間でもこの服装の男女が乗っていた。アムトラックは電車じゃなくてディーゼルなので乗ってもいいのか?だったら車だっていいのでは?降りたところで馬車に乗り換えるのだろうか?全く不思議の国アメリカだ。
(アーミッシュの団体さんは写していないです)
21:30 シカゴ・ユニオンステーション(CHI)発、「レイクショアエクスプレス」は2階建てではなく1階建て車両で、行先はボストンとニューヨークで、途中で切り離すため、行先別の車両に案内される。座席はカリフォルニアゼファーとほぼ同じ。毛布をかぶっておやすみなさい。
イリノイ州からインディアナ州、オハイオ州に入り、また1時間時計を進める。
07:28 ペンシルバニア州エリーErie着。「レイクショア」にしては湖は見えないようだった(眠くて覚えていない)。
10:30頃 地図を見ると、南北方向に紡錘状の小山がいくつも延々と続いている。(氷河地形の)ドラムリンだろうか。五大湖はモレーン(氷堆石丘)でせき止められた湖なので、南側はモレーンが何列もならび、北ドイツのベルリンのあたりのような地形のはず。
13:19 ニューヨーク州ウティカUtica着。アディロンダックAdirondack観光鉄道と書いた列車が止まっていた。
15:00 オルバニーAlbany着。ここでボストン行きと切り離すため約1時間停車。駅員さんに「発車は1時間先ですか」と聞いたら、「あと55分23秒です」と答えてくれた。いいぞいいぞ。全部で何両なのか数えたら13両で、途中で切り離して前の6両が15:27にボストンへ出発して、ニューヨーク行きの残りの7両に機関車を連結して、16:10オルバニー発。
(前半のボストン行きが先発)
(機関車連結)
(後ろはニューヨーク行き)
オルバニーからは終点のニューヨークまでハドソン川の左岸沿いを走る。水面に反射する夕日と黄葉と、橋や灯台、船も時々いて、とてもいい景色が続いた。ハドソン川といっても、何だか入江かフィヨルドみたいで、川っぽくない。実際に氷河の侵食谷を流れており、両岸には硬そうな岩が出ているが、氷食を受けてなめらかな形をしている。
18:45 日没後のニューヨークPen駅(NYP)に到着。駅から外に出た途端、ごちゃっとした都会の風景が飛び込んできて、(シカゴはシンガポールみたいだったが)今度はバンコクみたいだなと思った。ただし、前方に見える先のとんがったビルはエンパイアステートビルだな。
今回も駅から歩いて行けるマンハッタンの宿にしたが、1泊300ドル以上で、部屋は日本のビジネスホテル以下。涙が出るよ。
2022.10.17 シカゴの摩天楼
シカゴでは丸1日時間があるので、市内見学をしよう。たしか、シアーズタワーとかいう全米一高いビルがあったはずだが・・・(今はない、古いよ)。ミシガン湖も見たいし。すると、「シカゴ川&ミシガン湖建築クルーズ」というのがあった。これにしよう。
しかし、シカゴは寒い。気温は4~5度、雪の予報まで出ている。ダウンベストとか上着とかを全部着込んで、船上で食べるスナックを買って、ミシガンアベニュー橋のところから乗船したが、寒すぎる。船室でコーヒーを買って中で見物と思ったが、高層ビルは外に出ないとよく見えない。
お客さんは少ないが、ガイドさんは早口で次々と目に入るビルの説明をしている。やがてシカゴ川河口まで来たが、あらら、ここにも閘門がある(ウイーンのドナウ川クルーズの時に閘門を通過した)。もともとはシカゴ川はミシガン湖に注いでいたのだが、現在は閘門でシカゴ川の水位を下げ、反対方向に流しているそうだ。シカゴの水質汚濁問題とかもあったと言っていた。そうだったのか。
(ミシガン湖との間の閘門)
寒いとか言ってる場合じゃないぞ、というわけで甲板に出て閘門通過を見物。シカゴ川とミシガン湖の水位差は1m未満で、10分くらいで閘門を通過してミシガン湖に出た。しかし、ミシガン湖は海みたいで、沖合の防波堤に波が打ち寄せ、水しぶきが上がっている。風邪を引きそうなのでまた船室に避難した。
船はしばらく沿岸をクルーズしながら、シカゴの摩天楼を湖上からながめた。旧シアーズタワー(1973年築)は現在はウイリスタワーというそうだ。その他、ジョン・ハンコックセンター(1969年築)やトウモロコシみたいなマリナシティツインタワー(1968年築)など歴史的な高層ビルに加え、船着き場の前にあったのがトランプホテル(2009年築)、さらに2020年築のThe Residences at The St. Regis Chicagoというのがとても目立っていた。
(ウイリスタワー)
(左からマリナシティ、トランプホテル、ザ・レジデンス)
再度閘門を通過し、シカゴ川を遡りながらガイドさんの建築の解説が続く。何だかおもしろそうなので甲板で足踏みしながら聞いていたが、クラシック、モダニズム、ポストモダン?など、超高層ビルのスタイルもさまざまでおもしろかった。何というか、シカゴの町は都市として古いので、東京に通ずるものがあると思った。
(シカゴトリビューンタワー)
(マーチャンダイズマート、完成当時世界最大のビルだった)
(川沿いにAmtrakが見える)
(マーカンタイル取引所、シカゴといえば先物取引?)
下船後も寒くてたまらず、近くのメイシーズMacy's百貨店に入ったら、日本橋の三越か高島屋をさらに巨大にしたような吹き抜けと装飾天井があり、ここが本店のようだった。7階にはお好み大食堂ではなく高級レストラン(Wallnut Room)もあった。しかし店内にカフェがなく「デパ地下」もなかったので退散。
(メイシーズ本店)
シカゴは高架の電車(ループ)も走ってるし、何となくいい感じだったがとにかく寒かった(ユニクロに駆け込んでヒートテックを購入)。